わたしは美大~鷹美術研究所に所属しながら絵画として油絵や水彩画を描き、
美術団体の企画展、画廊や喫茶店での個展、ほかいろいろな絵画展にて作品発表をしていました。
どんな画材でどのように塗り重ねて色や形を作るかなどの画材研究に夢中になった時期もあり、絵画教室の講師の仕事をしたときに非常に役にたちました。画風は細密系で、時間をかけて1年に10枚程度の密度の高い絵を描いてました。
2013年にはドイツミュージカルのDVDを見てたら役者の演技がすばらしく、たまらない思いでスケッチ連作を描きました。
その時はまだ、すでにある写真や動画を見ながら写す(=モノを見て描く)ことしかできませんでしたが、200枚以上描いたことは、自分の描きたいものは何かということを考えるきっかけになったと思います。
pixivで『レ・ミゼラブル』の模写(19世紀の版画をアレンジ・水彩で着色)30枚。
はじめてまとまった数を連作。
2016年ごろ再放送していた『ベルサイユのばら』のアニメを初めて見て、レミゼで分からなかったフランスの時代背景~街の様子や人々が、突然目の前に映像として現れ、そこに生きてる人が悩み躍動していくことが見えたような面白さがありました。
感動したまま模写をアップすると、ベルサイユのばらは原作・アニメファンの反応やコメントがこれまたとても面白い。特にベルばらの登場人物の心情や疑問をぶつけたマンガは読んでコメントをくれる人もいて、その発言に導かれて新しい世界が見えたりしてなかなか深い。毎日寝る間も惜しんで描きました。時代はナポレオン前後のヨーロッパ舞台、時代背景も本やネットで調べ、そこに生きる人々の魅力的な資料がたくさんあり、ネタは尽きない。
毎日1枚ペースで、約二年。単純計算で600枚の絵。オリジナルのつもりで革命前のパリ風俗を調べて描いた『魅惑のパレ・ロワイヤル』60p、そのあとベルばらの二次創作である自覚をもって『お嬢様ドレスを着る』を描いて、いったん納めました。
『高慢と偏見』18世紀の小説、映画、ドラマを参考に、オリジナルにチャレンジ。
舞台は19世紀イギリス。田園風景の中の小さな小さな結婚についての話を作りました。
リアルな絵画を描く場合、モチーフをよく観察して描かなければならない……。 こんな言葉だけが独り歩きして、モチーフやモデル…ずばり写真がないと何も描けないという落とし穴に、わたしははまってしまった。
そんなわたしが何も見なくても絵が描けるようになったのは、省略して単純化記号化して動かしていくアニメーションやマンガ絵の世界を知ったから。
何もない場所に、新しく具体的な細部を加えて、ジオラマを作るように配置していくのは楽しい。言葉という抽象的な要素から、絵を思い浮かべ、日記のように描き殴り、その生き物のような動きに惹かれ、動きの連作を描く。
絵の中に入った物語要素は、素人舞台のように素朴で、セリフの一つ一つを噛みしめ感動し、感情にあった全身のポーズを編み出し、大道具小道具をそろえ、視覚化することで新しい意味を与えていく。
登場人物の感情を体で表現するという絵の連作は、映画の演出家のようでもあり、絵コンテやマンガのスタイルで1pに何枚もの絵を配置すると、必然的に本になります。
今まで画廊で発表するスタイルの絵画制作でしたが、ペンと水彩、一日一枚ペースの小さい絵を本にする。一日のうちの仕事と最小限寝る時間以外の毎日6時間…を制作にあてた2年間。まだ足りない、もっと描きたい。絵を一日中描くために仕事にしたいと、初めて思いました。
自分にとっては、絵と物語があればジャンルは何でもよかった。
マンガを選んだのはたくさん絵が入ることと、幼児向け限定ではないこと、
なにより身近で親しみがあったからだと思います。
しかし、出版社に作品を持っていくと、再考せざるを得なかった。
まず『マンガ=雑誌などの印刷物にするなら白黒』という大原則。
そして『商業マンガ』として売れるもの。
おそらく大ヒットを狙うポップミュージックのような存在を探している。これはわたしには性格的にムツカシイ。
しかし、『フルカラー希望でこの絵柄なら絵本の方が向いている』というアドバイスをいただき、
そういえばいろんな方から同様の言葉をいただいた。
ひとつその気になってたくさん絵本を見てやろうと。確かに絵本は自分に合うようだ。
特に海外の絵本で密度が高く、デッサンベースのものは、絵画出身の自分にとってとても居心地が良い。もし、油絵で培った経験が生かせるなら無理に売れ線マンガに寄せて絵を変えなくてもいいんじゃないか…。
いろいろな可能性を試してみようと試行錯誤中です。
商業出版を目指しつつ、即売会コミティアや、通販のpixiv Boothで自主制作本を出店する予定です。
また、絵画時代とは少し違った切り口でギャラリー展示と原画販売をしていこうと思います。